平野歩夢選手が金メダル獲得も、不可解なジャッジ採点――スノーボードのレジェンドは「茶番だ」と怒り

平野歩夢選手が金メダル獲得も、不可解なジャッジ

今月後半から来月頭にかけていろいろ気になりますね。

さて大方の予想通り、そして期待通り、北京オリンピックのスノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢選手が金メダルを獲得しました。

すぐに「Hirano」は米国のツイッタートレンドでトップ3に入ってました。「Hirano」は3人出場してたんですけどね。

ともあれ平野歩夢選手のランはバックトゥバックを含む3回の1440を決めるという、これまで世界中のどのライダーも到達したことがない異次元の領域でした。

しかし2本目・3本目とまったく同じルーティーンだったにもかかわらず、2本目は91.75ポイントで2位に甘んじ、3本目は96.0ポイントで大きな差があり、不可解な判定でした。スノーボードをわかる人なら、2本目の得点に「は?」と思ったことと思います。

思えば北京五輪は、不可解判定や不可解失格やドーピング疑惑などの問題が続出し、いかにも山羊座冥王星時代の終盤を思わせる事件が起こってます。高梨沙羅選手の失格の問題が出たときすぐにこういうことかと理解しましたが、この時代ならではと思いますし、占星術から見れば非常に興味深くて学習すべき事が多いものです。

最低点のアメリカ人ジャッジ

平野歩夢選手の不可解な2本目の判定の中で、アメリカ人ジャッジが最低の89ポイントを付けていますが、これは規定によって採用されませんでした。6人のジャッジの採点は最高点と最高点が除外されます。

ただ個人的には、よりによってアメリカのジャッジがその点数をつけるのか、と思いました。なぜならスノーボードはアメリカで生まれたスポーツで、他のスポーツはどうあれ、ことアメリカにおいてスノーボードは本質を正当に評価されるべきと思うからです。それは日本の柔道に対する思いのようなものです。

このアメリカ人ジャッジはジョナス・ブリューワー氏といい、ツイートなどを見るとブリューワー氏の疑惑の判定はこれだけではないと言われています。

ネットでは「辞めさせるべきだ」との声も上がっており、また住所なども特定されています(事実かは不明ですが)。

レジェンドスノーボーダー「茶番だ」

アメリカではNBCが北京オリンピックを放映していますが、そこでコメンテーターを務めているのは1998年長野五輪スノーボードハーフパイプでアメリカ代表選手だったトッド・リチャーズ氏です。

ちなみにリチャーズ氏は今では見なくなった「ウェットキャット」というハーフパイプの技を開発した人で、Xゲームズなどでもメダルを獲得しているレジェンドです。

そのリチャーズ氏はハーフパイプ競技のライブ放送中に、平野歩夢選手の低い判定に対して「ちょっと待てよ。91.75?そんなわけないだろ。」といい、怒りを顕わにしたといいます。

リチャーズ氏はCMが開けても怒りが収まらず、

「私は、長い間これをやっているんだ。ホントに長い間だよ。私は良いランがどういうものかを知っている。勝つために必要な要素はわかっているんだ。ハーフパイプのベストのランを見ればわかる。このランのどこがマイナスポイントだったか教えてみてくれ。こんなことが起こるなんて信じられない。」

「ぶっちゃけ言うと、茶番だ。今まさに腹が立ってる。」

リチャーズ氏は、スノーボード男子スロープスタイルでも、カナダ代表のマックス・パロット選手に過大評価が与えられたとクレームを言っています。

「マックス・パロットに金を与えたのは明らかなジャッジのミスだ!」

アメリカで生まれたスノーボードが、ヨーロッパに牛耳られている

1960年代、雪の上をサーフィンのように滑ってみたい――アメリカ人のパイオニア達はそんな遊び心と自由な発想で、どうやったらあのように滑れるのかを試行錯誤しました。そうして生まれたのがスノーボードです。そこには誰にも縛られず、ただひたすら滑ることを楽しみたいという思いがあるだけでした。

現在、スノーボード競技はアメリカの組織ではなくFISが管轄しています。極論的なことを言えば、オリンピックはヨーロッパのものであり、FIS(国際スキー連盟)もヨーロッパの組織です。

FISはある時期から、スノーボードというアメリカで生まれたスポーツが世界中の若者達の心をつかんでいる事に将来性を感じ、「スノーボードはスキーの一種である」という設定にして、スノーボード大会を運営し始めました。すでにISF(国際スノーボード連盟)という組織があったにもかかわらず。

一時期FISとISFは共存していましたが、FISの組織力によりISFは淘汰されました。ISFは競争に負け、消滅しました。

その過程において、1998年長野冬季オリンピックでスノーボードが正式種目として採用されました。すでに書いた「スノーボードはスキーの一種だから」という理由です。

これに、テリエ・ハーコンセンをはじめとする世界のトップライダー達が反発しました。「スノーボードはお国の旗を背負ってやるようなものじゃない」

彼らはスノーボード初期の自由な精神を受け継いでいた、最後のサムライでした。

ソルトレイク五輪の金・銀・銅

そんなスノーボード初期の精神は、2002年ソルトレイクオリンピックで終わりました。ハーフパイプ競技でアメリカ代表が金・銀・銅を独占したのです。

メディアはもてはやし、たくさんのスポンサーが付きました。

金メダルのロス・パワーズ選手には、スノーボードにはまったく関係のないラルフ・ローレンなどのメジャーなブランドがスポンサーに付いたのです。それまである種アウトローだったスノーボードの選手に、ビジネス的・商品的価値が見出されました。

それはスノーボードがメジャースポーツになったターニングポイントでした。

ソルトレイク5位:中井孝治氏の思い

今回テレビで別スタジオの解説をしていたという中井孝治氏は、その2002年ソルトレイクオリンピックのハーフパイプの日本代表選手でした。

中井氏は、平野歩夢選手の金メダル獲得に涙声になっていたといわれていますが、それは彼自身も同じような経験があるからではと個人的には思ってます。

ソルトレイクで中井氏は5位でしたが、それは限りなくメダルに近いパフォーマンスだったと記憶しています。

すでに書いたようにこのときアメリカが金・銀・銅を独占しましたが、どう見ても銅メダルのJ.J.トーマス選手の評価には疑問が残りました。ジャッジに疑問を持ったのは私だけではなかったはずです。

まったくの憶測ですが、中井氏にはあのときの悔しさがあり、平野歩夢選手の2本目の低評価に自分と同じ悔しさや思いを投影したのではないかと思いました。

それだけに、3本目で正当に評価されて金メダルを獲れたことが、自分が抱えてきた悔しさへのリベンジのように思ったかもしれないと感じています。

平野歩夢選手のホロスコープに思うこと

平野歩夢選手の立ち振る舞いを見ると、ホロスコープ通りだなと思わされます。

あのクールさや動じないそぶり、それは後天的に育成できるものではないです。内面は少し違うかもしれませんが。

そして2本目の低評価で真価を発揮できることも彼の生まれ持った資質です。

1998年世代なので、スポーツの世界を変えていく人です。この世代はスポーツのレベルを変えます。実際、次回のオリンピックはトリプルコーク1440は最低条件になりました。

彼はスノーボードやスケートボードのようなジャンルを選択して正解だと思います。それは父親の影響かもしれませんが、サラリーマンは難しいと思えるので自然に引き寄せられていったと思います。その環境にあったことが、生まれながらに「持っている」かもしれないし、選ばれた人かもしれないです。

平野歩夢選手はデカいことをやり遂げるために生まれてきていますが、同じようなホロスコープの人が同じようなことをやれるかと言われれば、難しいかもしれません。

多くの人は、そのエネルギーを持て余して失敗する気がします。彼のようになるには条件が必要だからです。

ショーン・ホワイトという人

蛇足の話ですが、競技でライダー達が被っているヘルメットはショーン・ホワイトが広めたものです。彼が出てくるまで、ヘルメットは「ダサい」と言われ、被るライダーはまずいませんでした。

みんな、普通にニットキャップでハーフパイプやデカいキッカーを飛んでいたのです。それが「イケてる」と思われていた時代でした。

ショーンは7才くらいからスポンサーが付き、プロのライダーとして成長してきましたが、滑りでは常にヘルメットを被っていました。それは親の指導もあったかもしれません。

ダサさなど本人はこれっぽちも思っていないかのように、当たり前のようにたった一人ヘルメットを被って競技に臨むショーンの姿は、いつしか彼のトレードマークのようになっていました。

彼が成長し10代になって大会で結果を出すようになった頃、いつしかヘルメットは必須なものになっていきました。ショーンの存在と実績が「ヘルメットはダサい」という概念を消したのです。そしてそれはルール化されていきました。

そしてショーン・ホワイトは「ミスターパーフェクト」「スノーボードのキング」と呼ばれるようになっていったのです。

ショーンが平野歩夢選手に駆け寄ってハグをしたとき、オールドライダーはじんときたのではないかと思います。