昨日行われたフィギュアスケートの全日本選手権において、宮原知子選手がSP2位から逆転優勝し、平昌五輪代表の座を確定した。一方で、メディアが「ポスト真央」とはやし立てる本田真凜選手は7位に終わり、事実上、平昌五輪代表の座は絶望的になった。これによって残り1つのイスは、坂本花織選手か樋口新葉選手に絞られたようだ。
ポスト真央はファンのためでなく、スケ連やメディアのためでは?
今回の結果はともかく、そもそも本田真凜選手が「ポスト真央」と持ち上げられるのは、フィギュア界自体が次世代のスターを望んでいるからに違いない。それはメディアにとっても大きな問題だ。なぜなら浅田真央氏の引退によって、視聴率・それに伴う放映権料・入場料・発行部数・スポンサー料などに多大な影響を与えるカリスマを失ったわけだから。
何より、他のフィギュアスケーターにさえ影響をもたらす存在というのは、デカすぎた。
しかし一歩引いてみれば、それは真央氏の出現によって一時的な「フィギュア・バブル」が起こったにすぎない。一人突出した選手が出ると、業界全体そしてメディアが潤う。しかし現在はその大波も止み、普通のフィギュア界、それも健全なスポーツとして選手が切磋琢磨する「フィギュアスケート競技」に戻っただけではないのか。
一方で利益を目論む各企業や運営母体などの組織にとって、一度味わったバブル=浅田真央という存在によってもたらされる利権・利益=は、そう簡単に諦めることはできない。心理として、一度上がった利益がマイナスになることなど、甘んじて受け入れることができないのは道理だ。それは人間という物質主義生物における「断捨離への拒絶感」がもたらす弊害である。(これは現在の相撲界の問題にも通ずると思っているが)
結果として、そうした権益思考が真央氏の引退を遅らせた原因でもあるだろう。あきらかにソチ以降の真央氏にかつてのパフォーマンスを求めるのは酷だった。
だからと言って、なんとか真央ちゃんの後釜を、ポスト真央を、と求めるのは極めて浅はかな思慮と言わざるを得ない。なぜ「浅はか」かというと、しばしそういう大人の過剰なビジネス・結果主義が、アスリートの成長を妨げることになるからだ。
過去からなにも学習しないスポーツ界とメディア
かつて女子マラソン界に、それまで全く無名の小鴨由水(こがも ゆみ)という選手が彗星のごとく現れた。彼女にとって初フルマラソンとなる1992年大阪国際女子マラソンで、当時の日本女子最高記録を叩き出してぶっちぎりの優勝をし、その一発で同年のバルセロナ五輪代表に選ばれた。
残る代表枠を争ったのが松野明美氏と有森裕子氏、その他にも谷川真理氏などがいたことから、同時期の日本女子マラソン界がどれほどのレベルだったかが分かるだろう。ちなみに残り一枠を得た有森裕子氏は、バルセロナ五輪で銀メダルだった。
小鴨氏はブレイクした大阪国際女子で、当初優勝争いも五輪も全く意識していなかったという。というのも出場目的が、チームの先輩の浅利純子氏のペースメーカーの役割でしかなかった――つまり「ノープレッシャー」。
そんな小鴨氏のバルセロナ五輪での結果は、知らなかった人でも予想がつくと思う。それまでまったくの無名だった選手が、たった2時間ちょっとでいきなりシンデレラになり、マスコミに持ち上げられてしまったのだ。当然プレッシャーコントロールなど何も経験していない小鴨氏は、日本全国からの期待と重圧に押しつぶされ、五輪本番に向けた高地トレーニングでオーバーワークをして体調を崩し、それでも強行出場した五輪で、いい結果が出るわけはなかった――29位。
そして小鴨氏は翌年「仕事で走るのが嫌になった」と引退した。
アスリートにゴリ押しは、何の意味ももたらさない
ちなみに現在、小鴨由水氏は生命保険の営業職として活躍されているという。
想像するに「元マラソンの小鴨です」と名刺を差し出すだけで、バルセロナ五輪を知っている世のおっさん達にどれほどの効果をもたらすだろう――どうせ入る保険であれば、大変な苦労を経験した小鴨さんにお願いしよう、と。
「ハードの後はイージー」いつも言っている通りである――痛い経験が、次の人生を作る。ホロスコープのエネルギーは自分で使えば自分に戻ってくる。避けて楽な方を選べば、後でそのぶん逆襲を受けるだけだ。
どちらがいいかは、みなさんの考え方次第。
もちろん「プレッシャーとうまく付き合う」のもスポーツ選手にとっての重要な資質だろう、というご意見はごもっとも。だが、行き過ぎた報道やシンデレラ・ストーリーの押し売りはいかがなものか?――そんなことよりも、当たり前のように選手に練習をさせてあげればいいだけではないのか。周囲は環境を作り、サポートして守ってあげさえすればいい。しょせん資質というのは、本人の努力によって花開くものであって、周囲はそれを見守ることしかできない。
変なゴリ押しは、その裏にある「カネ」に目が行ってるとしか思えない。
ましてや五輪を目指す選手などは、メジャーリーガーやトップクラスのサッカー選手などように年に数億・数十億を稼ぐアスリートではない、10代か20代そこいらの普通の存在なのだ。
話は飛んでしまったが、そんなわけで宮原選手と本田選手のホロスコープを絡めてみたい。
宮原知子選手のホロスコープ
宮原選手のホロスコープを見ると職人型に思える。それは演技にも現れているのでは?――正直、彼女の演技をじっくり見たことがないのでその辺は分からないのだが、この図で見る限り安定志向が強そうだ。
がその反面、もしかしたらつまらないかもしれない。どうも大衆を巻き込むような扇情的・熱情的なパフォーマンスを生み出すような図には感じられない、などと思っちゃうのだが実際どうだろう。
またニュースなどで見る、短くカットされたダイジェストの演技を見る限り、印象として彼女のジャンプは低い。それも転ばないよう安定度を求めた結果だろうが、時により回転不足で減点される。ただそれよりなにより、演技としてつまらない。羽生結弦選手のジャンプにある種のカリスマ性を感じるのは、あの高さとダイナミックさがあるからだ。
宮原選手のは、どうしても小さくまとめた感が出てしまう。それがフィギュアというスポーツとしていいのかどうかに答えを求めるのは難しい。あくまでジャッジの印象採点によるものだから。
そういうのも含めてこのホロスコープならでは、だと思う。強みでもあり、脆さでもある。
それと残念なことに宮原選手のホロスコープはトランジットの影響がきつく、それが昨年から続くケガとして現れた。そこを持ち前の集中力で克服していったのが、今回の結果に繋がったのは賞賛に値する。
さて本番ではどうなるか。
本田真凜選手のホロスコープ
本田選手のホロスコープは柔軟サインが多めなので、やはりブレやすいと言える。ただ表現力は定評通りで、彼女の太陽は魅せるためのようなものなので、自分から湧き出るものを表現することによって昇華する。
仮に彼女が25才以降になって競技選手ではなくなったとしても、表現者としての本質は崩さないと思う。まあ芸能事務所と契約しているみたいだし、その点で利用価値はたくさんあるのでは。
本田選手のビジュアルからは分からないが、彼女のホロスコープはプレッシャーが重い。ただそれを乗り越えて克服しようとする強さもある。今回は体の機能と精神とがうまくハマらなくて結果が出なかったのは残念だが、そういうのは柔軟サインにはありがちなことだ。ちなみに浅田真央氏もそういう性質だった。
問題はこれからどう乗り越えていくかだろう。柔軟サインはブレやすさもあるが、じゃあどうすればいいか、という自己課題を見つけることが出来る。それを克服したとき新たな栄光が与えられるだろうが、どっちにしたってこのホロスコープじゃ、プレッシャーと戦う事は避けられない。
今まで彼女がそれを感じていたのかどうかは分からないが、周囲に「ポスト真央」とかちやほやされて持ち上げられて、本人もそれに甘んじているだけでは、自分自身のホロスコープのエネルギーは活かせない。
幸いなことに本田選手はまだ16才。次が狙える年令だ。
安定がいいか、ハマった時のスゴさがいいか
いずれにしても現在のフィギュアの採点方法は、どうしてもSPとフリーの総合得点方式なので、演技はそこそこ平均より上であれば安定していた方が有利、みたいな風潮はあると思う。その点では安定してる宮原選手に分があるのかもしれない。
浅田真央氏は「あのコは大事な時に必ず転ぶ」と、しんきろう元首相から言われたように、確かに不安定ではあったけど、その分爆発した時の巻き込むパワーとか感動がスゴい、みたいのがあった。そしてそういうセンシティブで感受性の豊かさみたいなのが、彼女の人気たる所以だったと思う。
ともかく選手には本番で実力を出して頑張ってもらいたいものだ。
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