初代タイガーマスク・佐山サトル氏にパーキンソン病の疑い――紆余曲折のキャリア

自力歩行困難

初代タイガーマスクの佐山サトル氏が、パーキンソン病の疑いがあると診断され、歩行困難な状態に陥っているという。

 佐山は現在、自宅で療養中。ツエや介助が必要など、自力での歩行困難な状態で、復帰のメドは立っていないという。平井代表は「佐山先生が元の姿で帰ってくるまで、サポートするだけです。みなさま、その日まで待っていてください」とコメントした。

【出典元】初代タイガーマスクの佐山サトルがパーキンソン病の疑い 自力歩行困難/デイリースポーツ

タイガーマスクへ

佐山氏の格闘家人生は、紆余曲折ありすぎてに簡潔には語れない。現在は「リアルジャパンプロレス」という団体を主宰している。

佐山氏は1975年に新日本プロレスに入門。
翌年デビューし、1978年にメキシコに派遣され、メキシコのリングで活躍。

その後1980年にイギリスに移って「サミー・リー」のリングネームで活躍した。サミー・リーはイギリスで大人気だったものの、新日本プロレスの要請を受けて急遽帰国し、1981年に初代タイガーマスクとしてリングに上った。

初代タイガーマスクは、そのファイトスタイルからお茶の間の大人気となり、今でこそ「プ女子」と呼ばれるプロレス好き女性は珍しくなくなったが、当時にしては珍しい女性ファンも獲得し、新日本プロレスの絶頂期を迎えた。

しかし、初代タイガーマスクが活躍したのはたった2年間あまりでしかない。というのも人気絶頂のさ中、突然新日本プロレスを辞めて引退してしまった。このときおそらく25才。

スーパー・タイガー~総合格闘技

新日本プロレスを脱退後、自身のジムを設立して独自の格闘技の道を模索する中で、1984年に立ち上げられた格闘技団体UWFに「スーパー・タイガー」として参加し、ショー的要素の強いプロレスではなく、よりスポーツ色の濃い格闘技に傾倒していった。

ところが1年ほど経ち、ある試合をきっかけにUWFも脱退してしまう。ドル箱人気選手を失ったUWFは、やがて活動休止を余儀なくされた。

その後は自らの格闘技理論を追求するため総合格闘技・修斗の設立・運営に携わり、啓蒙活動を実践していく。修斗はのちに佐藤ルミナ・宇野薫・堀口恭司・矢地祐介・山本”KID”徳郁・五味隆典・青木真也・桜井”マッハ”速人などを輩出し、現在総合格闘技界の一大勢力になっている。

しかし佐山氏は1996年にこの修斗からも身を引いた。身を引いたというより、実際は追い出しに近かったと噂されている。

その後現役復帰し、プロレスラーとして数々の団体に参戦し、1998年にアントニオ猪木氏が設立したUFOという団体に所属した。しかしこれも意見の食い違いからまもなく離脱している。

そして2005年にリアルジャパンプロレスを設立。

ホロスコープ

佐山サトル氏

佐山氏は格闘家として類稀なセンスを持ちながら、キャリアでは組織に所属あるいは運営しては、そこから離れるということを繰り返してきた。

それはこのホロスコープに現れていると思う。人との縁によってチャンスをつかんで大いなる結果を出すも、やがてそこから離れるというもの。ただしそこには裏でなにかが動く。

パーキンソン病は運動障害をもたらす神経疾患だが、確かにこの図は厳しいと言わざるを得ないか。

回復をお祈りしたい。