元横綱でプロレスラーの北尾光司氏が亡くなっていた――波乱と破綻のホロスコープ

慢性腎不全で死去

第60代横綱・双羽黒で元プロレスラーの北尾光司氏が、人知れず亡くなっていたことが報じられた。

北尾氏は2019年2月10日の7:30、慢性腎不全のため千葉の病院で亡くなったという。55才という早すぎる死であった。

ショーケンもそうだったが、北尾氏にも「波乱の人生」という言葉がよく似合う。体躯に恵まれ、22才11ヶ月という若さで横綱昇進を成し遂げる一方、トラブルの絶えないことでも有名だった。

恵まれた才能で一気に昇進

小学生の時に相撲を始め、あまりの強さに次第に相手がいなくなっていったという。中学生になっても相手になるものがおらず、仕方なく近くの高校に出稽古にいったが、高校生相手でも負けなかった。

徐々にその存在が角界で注目されていき、中学卒業とともに立浪部屋に入門した。1979年3月場所に16才で初土俵、1984年9月場所で入幕を果たしている。ちなみに当時の四股名は「北尾」である。

しかし相撲界入りしてからはトラブルが多く、「故郷へ帰る」と言って部屋を飛び出すなど、たびたび問題を起こしていた。

第60代横綱に

一方で肝心の相撲の方は順調に昇進し、1986年1月場所で大関になった。その年の7月場所後には早くも横綱審議委員会によって北尾の横綱昇進が検討されたが、実は北尾は幕内優勝したことがなかった。そのため意見が分かれたが、結局その将来性が見込まれ、昇進が決定した。この横綱昇進を機に四股名を「北尾」→「双羽黒」に改名した。

このころの大横綱といえば千代の富士だが、その千代の富士をして、(双羽黒が)「もし廃業していなかったら、自分は横綱の地位にこれだけ長く留まれていたのかは分からない。」とコメントするほどの実力を持っていたのだが。

ただ今となってはこの横綱昇進が、彼にとってよかったのかは何とも言えない。見方によれば、甘い裁定だったかもしれない。

というのも横綱在位8場所という、昭和以降2番めの短さで廃業してしまうのである。

ちゃんこ事件

横綱になった翌年の1987年12月27日、双羽黒は「あんなちゃんこが食えるか」と部屋を飛び出してしまったという(部屋の若い衆いわく)。

その時、立浪部屋の女将を突き飛ばし「二度と戻らない」と言ったというが、後に北尾氏は著書で違う見解を述べている。

いずれにしてもこのことが原因で、双羽黒は廃業をしたが、事実上は破門だったようだ。

プロレス転向

相撲廃業後、北尾氏はタレント活動などを行っていたが、1990年2月に「北尾光司」として新日本プロレスでプロレスラーとしてデビューした。

元横綱という大きな看板を引っさげて鳴り物入りでデビューしたわけだが、当時プロレスファンからなかなか受け入れられなかったようだ。派手なパフォーマンスをするものの、プロレスの基礎があるわけではなかった。

やがて相撲時代の悪い癖が出始め、なんだかんだ理由をつけて練習もサボるようになってしまったという。このため新日本プロレスから契約解除されてしまう。

その後SWSという団体でプロレスを続けるが、ある試合で反則負けになった時に、マイクを通じて相手に「八百長野郎!」と罵る事件が起こった。後に「北尾事件」と呼ばれるこの事件で、プロレス界全体を敵に回してしまい、SWSからも解雇されてしまう。

結果的にプロレス界にそっぽを向かれ、なかなか移籍先が決まらなかったが、1992年にUWFインターナショナルで復帰を果たし現役を続けた。

北尾光司氏のホロスコープ

北尾光司氏

北尾氏は1963年生まれで、相撲界入りした時は北勝海・小錦らとともに「花のサンパチ組(昭和38年生)」と呼ばれ、有望視された。

しかしこの図は、まるで彼の人生をそのまま表しているかのようだ。混乱と波乱のために生まれてきたかのような。

この図は固定サインのグランドクロスで、いいも悪いも主張を変えない頑固さがある。

彼の太陽は土星と180度で、通常この組み合わせは「真面目」とか「忠実」とか言われる。しかしこの場合は、その額面通りに受け取れない。いや、額面通りなのだけど、性質が違うと言ったらいいか。

その意味で言えば、彼は忠実だった。
実に真面目に、しかし要領悪く。

「あんなちゃんこが食えるか」「二度と戻らない」「八百長野郎!」など、彼の言動が突飛なのは水星の性質そのものだろうね。

までも、慢性腎不全はわかる気もするんだけど。