5月11日はレゲエ界のレジェンド、ボブ・マーリーの命日――36才で全身癌に蝕まれる

ボブ・マーリーの命日

「#検察庁法改正案に抗議します」が広がるこんな日は、ボブ・マーリーの音楽にインスパイアされてみる。

Bob Marley & The Wailers – Redemption Song(日本語訳付き)

5月11日はボブ・マーリーが亡くなった日で、1981年のこの日に亡くなってから39年が経つが、今なお影響を与え続けているレゲエ界のレジェンドである。

売れる前

1945年2月6日にジャマイカで生まれる。
父親は白人で、イギリス海軍大尉だったという話だ。生まれた時父親は61才で、母親は16才だったという。その父もボブ・マーリーが10才の時に70才で亡くなっている。

ジャマイカで放送されていたアメリカのラジオ放送から流れる最新のR&Bやスカ・ミュージックを聞いてハマっていく。

1962年にレコードをリリース、その後バンド「ザ・ウェイラーズ」を組み、1963年に発表された「Simmer Down」が推定7万枚売れ、ジャマイカでNo.1になる。

1966年に結婚しているが、曲が売れてもギャラはほとんど入ってこなかったという。そのため母の住む米デラウェア州に移り、いろいろな職を転々としている。その後も音楽活動を続けるものの、鳴かず飛ばずだった。

ブレイク

1973年にメジャーデビューとなるアルバム『Catch a Fire』をリリースし好評を博すと、その年の10月に2ndアルバム『Burnin’』を発表、このアルバムに収録された「I Shot the Sheriff」はエリック・クラプトンがカバーし全米1位を獲得している。

続く1974年10月にアルバム『Natty Dread』をリリース、ここからのシングル「No Woman, No Cry」でボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが全英チャートに初登場することになる。

この「No Woman, No Cry」はジャマイカで貧しい生活をしていた頃のボブ・マーリーの体験が生んだ曲だった。

”女の人よ、泣かないで”
”泣いちゃダメだ”

”俺たちにはいい友がいる”
”ああ、いい仲間も失ったよ”
”こんな素晴らしい未来でも”
”過去を忘れることはできないよな”
”だから涙を拭いてくれ”

”女の人よ、泣かないで”
”ああ、かわいい君、涙を流さないで”
”泣いちゃダメだ”
”すべて大丈夫さ”

銃撃

売れっ子になったボブ・マーリーは1976年、当時の首相マイケル・マンリーによって「スマイル・ジャマイカ」という無料コンサートへの出演をオファーされる。しかしこのコンサートは政治的背景があった。というのもコンサートの10日後に総選挙が予定されていた。

12月3日、コンサート2日前のリハーサル中に、武装した数名の男が襲撃、ボブ・マーリーは撃たれて胸と腕にケガを負った。妻もその場にいたが奇跡的に無事、マネージャーは重症を負ったが死者は出なかった。

コンサート当日は8万人の観客の前で90分間のステージを行い、腕と胸の傷を指差して観客にアピールした。翌日ジャマイカを飛び立ち1978年まで戻っていない。

死亡

1977年7月ツアー中に、足の親指の爪にあるメラノーマ(悪性黒色腫)が見つかる。ケガによるものではなく、癌の症状だった。医師からは指の切断をアドバイスされたが、宗教的信念を理由に断った。その代わりに爪を取り除き、皮膚移植をしている。

この病気にも関わらずマーリーはツアーを続けた。1980年にはワールドツアーも行い、ミラノでは10万人を集めた。その後アメリカツアーに向かう。

1980年9月23日ペンシルバニア州ピッツバーグのライブが最後のステージになった。この2日前に倒れて病院に運ばれており、癌が脳まで転移していることが発覚している。

その後癌はマーリーの身体中を蝕み、ドイツのジョセフ・イッセルス医師の代替癌治療を受けることになった。(このイッセルス医師の代替治療は後年物議を醸し、一時詐欺と過失致死罪で有罪判決を受けたが、その後覆っている。)

結局この治療はうまく効果が得られず、ジャマイカに戻る途中で容体が悪化しマイアミに急遽着陸、病院に搬送された。しかし5月11日、マイアミの病院で36才で亡くなった。黒色腫は脳はおろか肺まで侵食していたという。

ボブ・マーリー氏

ボブ・マーリー氏

射手座の初期に何か天体がくれば火風のグランドセクスタイル。

それはいいとして、この手のホロスコープは基本、その個性が大きく発展に影響する。彼がレジェンド的な存在になったのもそういう要素があるからだと思う。

また彼の作り出す音楽は地元やルーツのテイストが入ることになる。それがけっきょく大きな結果を生んでいる。

しかしホロスコープ全体をよく見るとかなり刺激的な内容だけに、それをバネにして得られるものも大きければ、壁も大きいという感じか。でもそうした体験からくる想いが作品に投影され、人の共感を呼ぶ。

死後、1984年に発売されたアルバム『Legend』は、レゲエ史上最高の売上となった。ビルボード200アルバムチャートで600週以上チャートインしているという。


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