5月1日は「音速の貴公子」アイルトン・セナが事故死した日――あの時、セナに焦りはなかったか

ブラジルのヒーロー

最近、有名人の子供が生まれたニュースがあるけど。その子達は太陽天王星に土星スクエアと、木星冥王星のホロスコープを持つことになるね。

さて5月1日はF1ドライバー、アイルトン・セナの命日で、セナは26年前の1994年にイタリアのイモラサーキットで行われたF1サンマリノGPで事故死した。

ちょうど1987年に中嶋悟氏が日本人初のフルタイムのF1ドライバーとなった際、同じロータス・ホンダでチームメイトだったのがアイルトン・セナだったため日本のファンに馴染みが深く、またとんねるずのバラエティー番組などにも出演していたことなどもあり、日本でのセナ人気は抜群に高く、それだけに彼の死はショックは大きかった。

セナは母国ブラジルでは国民的ヒーローであり、この事故死でブラジル政府は国全体が3日間喪に服する宣言をした。またセナの葬儀はTVで生中継され、葬儀当日には推定300万人が通りを埋め尽くしたという。

呪われたサンマリノ

この年のサンマリノGPは呪われたかのようだった。

まず金曜日に行われた予選1日目、セナと同じブラジル・サンパウロ生まれのルーベンス・バリチェロがコースアウトしてクラッシュ、病院に搬送された。このときバリチェロは鼻を骨折している。

続く土曜日の予選2日目には、オーストリア出身のドライバー、ローランド・ラッツェンバーガーがコントロールを失い、時速310kmでコンクリートの壁に激突して死亡した。搬送先の病院によると頚椎骨折・内臓破裂などで即死状態だったという。

2日続けて起こった不幸な事故にセナはショックを受け、当時恋人だったモデルのアドリアーネ・ガリステウに電話で「走りたくない」と漏らしていたが、その後気を持ち直したようだ。

波乱のレース

迎えた日曜日の決勝は、スタート直後に数台が絡むクラッシュが起こり、いきなりセーフティカーが入るという波乱含みの展開になった。まさに呪われたレースを象徴しているかのようだった。

セナはポールポジションからスタートしていた。2番手は当時イケイケだった新進気鋭のミハエル・シューマッハ。

再スタート後7周目のタンブレロコーナーでセナの車体は不安定になり、そのままコースから外れて壁に激突した。激突時の速度は時速211kmだったという。


(※スタート直後に事故・セナ事故は04:30あたり)

世代交代の節目

セナの死亡は、奇しくもF1における世代の変わり目となった。このとき台頭してきていたシューマッハはその後絶対王者に君臨、F1優勝91回は史上最多、チャンピオンタイトル7回獲得も史上最多という怪物になった。

それまでセナは、ライバルだったアラン・プロストやナイジェル・マンセルらとしのぎを削り、チャンピオンタイトル3回を獲得していた。

若くて才能のあるミハエル・シューマッハの台頭に、セナはどう思っていたのだろう。というのもジョーダンやベネトンという、お世辞にも強くないチームのマシンでその才能の片鱗を見せてきたシューマッハに、セナ自身もかつてトールマンという弱小チームから這い上がってきた姿がダブるのである。

焦りはなかったか

ロータス→マクラーレンと続いたセナとホンダエンジンとの蜜月関係は、1992年シーズンを最後にホンダのF1撤退により終焉を迎える。

またナイジェル・マンセルが乗っていたウィリアムズのマシンが、アクティブサスペンションなどハイテク機能を搭載しパフォーマンスに勝っていた。結局マンセルはこの年のドライバーズチャンピオンになり、またシューマッハの台頭もあって、セナはランキング4位に終わっている。

翌1993年はまたしてもウィリアムズのアラン・プロストがチャンピオンに返り咲いた。この年を最後に「セナ・プロ対決」と呼ばれた最大のライバルが引退をした。

そして運命の1994年、セナはプロストがいなくなったウィリアムズと契約し再び強いマシンを手に入れた――かに見えた。だがウィリアムズの強さの象徴だったアクティブサスペンションなどのハイテク機能が、ルール変更によってこの年から禁止になってしまう。

このルール変更でウィリアムズはダメージを受け、新しいマシンの開発に出遅れてしまう。結局セナは第1戦・第2戦とも途中リタイアでノーポイントだった。

ヘルメットを貫通

そして迎えたのが第3戦サンマリノGPだった。それまで2戦を終えてセナは0ポイント、シューマッハは開幕から2連勝して20ポイントを獲得していた。セナは「ここからが開幕戦」と誓っていたという。

事故の原因は追求されたが、わかっていない。

ただセナの死因については「破壊したマシンの一部がヘルメットを貫通した」という検死解剖の結果がはっきりしている。ヘリコプターで病院に搬送される前、セナが横たわっていたところの地面が血まみれだった。また貫通したヘルメットも以下の映像にある。鋭利な破片がヘルメットを貫いたのは偶然にしろアンラッキーというしかない。

三宅アナ「頭の前のあたりに大きな破損があって、脳の後ろもかなりダメージがあった」川合氏「6時3分、セナの脳の機能が停止した」今宮純氏「(泣)」

アイルトン・セナ

アイルトン・セナ

4才の時にモータースポーツに興味を持ったというが、メカ的な速さと、持って生まれた器用さを象徴するかのようなホロスコープ。「雨のセナ」と呼ばれ、滑りやすい難しいコンディションで無類の強さを発揮したのはその所以だろう。

また「勝ち」へのこだわり。
勝つこと・トップに君臨することが自身の満足につながり、そのための努力には気を抜かない。少々度を超えてでも果たそうとするような図。

ホンダエンジンに固執したのは、そのためだったろう。ルールを破ってでもチームメイトとのバトルも辞さない。強いマシンを得たい衝動もそうだった。

セナ・プロ対決やマンセルとのモナコのバトル、楽しませてもらった。あれは史上に残る名勝負。

ともかく「安らかに眠ってください」という言葉しかない。