マドンナ様がつつつついに還暦(60才)を迎えたという。いわゆる1980年代にブレイクしたポップアーティストの唯一の生き残りと言うか、今だに現役の第一線感が衰えないのが、すごいを通り越してすごい。ていうかある意味すごい。
1980年代スーパースターで唯一
80年代の生んだトップスター、マイケル・ジャクソンもプリンスもホイットニー・ヒューストンもジョージ・マイケルもみんな死んでしまった――唯一マドンナだけ生きている。それだけでない。自らの努力と研鑽を重ねて、今なお現役バリバリでいるのは並大抵ではないだろう。かつて、ここまで成し得た存在がいたのか。
マドンナ以降、数々のディーバが世に出た。中にはマドンナとは親子ほどの年令差もいるが、だからといって先輩としてでなく対等なライバル的な立ち位置でいるのはさすがと思わせる。
ライブは常に世界中でソールドアウトだし、一度でもマドンナのライブ映像をフルで見たら「マドンナってこんなにすごかったの?」と認識させられる。それは単に知らないだけで、彼女はキャリアにおいて常にそうだったし、常にフルスロットルだった。それほどエンタテインメントにおいてトップレベルのクオリティをキープし続けており、それは常に革新的で、まだ発展途上でさえある。
こんな50代いる?
歴代アーティストの総売上枚数ランキングにおいても、1位ビートルズ、2位エルヴィス・プレスリー、3位マイケル・ジャクソン、そして4位がマドンナだ。確かに、時代が変わるに従って曲販売のシステムや考え方も変わってきているが、それでもこのポジションを不動のものにするのは誰にでもできることではない。ビヨンセやレディーガガが追いつくのにあと何年、何十年かかるのだろう。
厳密に言えば、彼女はディーバ(歌姫)ではない。歌唱力は昔から大して評価されていなかったし、あの甘えたような声が耳障りという人もいただろう。しかし総合アーティストとしては絶対的なものがある。
そんな彼女の人生を、ホロスコープを追いながら巡ってみたい。
(ちなみに以前19:05説があったと思うが、いつの間にか消えている)
マドンナの出生
1958年、マドンナは8人兄弟の3番目(長女)として生まれた。父はエンジニアで裕福ではないが普通の家庭。母の名は「マドンナ」。初めて生まれた女の子に、母は自分の名を授けた。
「マドンナ・ルイーズ・チッコーネ(Madonna Louise Ciccone)」
しかしマドンナが5才のときに激震が走る――母が乳癌でこの世を去った。マドンナは5才にして弟や妹の面倒を見ることになった。またそれに追い打ちをかけるように、8才のときに父が再婚。継母に父をも奪われた気がした。
これは後に、彼女の情操に大きく影響することになる。
月は0~7才に発達し、一生情操に影響する
幼い年令での過酷な経験が、彼女の反発心と自立心を培ったのでしょう――などというのは心理分析などによくあるパターンだが、ホロスコープで言えば、それは生まれた瞬間にその可能性が垣間見えている。それも含めて個性なのだ。
彼女が生まれた瞬間、月と水星は乙女座の前半にあって、冥王星がすぐそばにあった。これはトランジットにもよるが、幼少の頃の極限体験を表すこともある。彼女が5才の時、この月に対しトランジットの冥王星が重なり、母の死という「度を超えた体験」をもたらしたのである。
月は0~7才くらいまでに発達する。ただしこの年頃は、人間は一人では何もできない。全て親や周囲からの吸収にすがらざるを得ない。月は常に受け身でいることしかできないが、その分この年齢で得た体験は、その後の情操に影響することになる。
しかしマドンナにとってこの極限体験は、その瞬間こそ心の傷になっただろうが、結果的に大きな収穫をもたらしたはずだ。なぜならこれら乙女座の天体は、木星・海王星とイージーなアスペクトだからだ。
ちなみに彼女の水星は乙女座の5度、これは言葉や情感を誇張して表現する度数で、アーティストやクリエイターに向いている。彼女はこの幼少期の体験を通じ、知らず知らずのうちに自分の創造力のリソースとしていたのは、後の彼女の作品を見ても明らかだ。彼女の父親や継母に対する複雑な感情は、しばし楽曲に表れた。
このようにホロスコープの天体エネルギーは、人生をポジティブに生きるためにある。ただ「待つ」だけでは何もなさないか、時にトランジットのハードな影響を受けて、自分に降り掛かってくる危うさをもたらす事がある。
「私は神よりも有名になる」
父や継母に対する複雑な感情もあってか、学校時代は反抗的で問題児だったが、一方成績は優秀だったという。またピアノ・バレエ・ダンスなどを習い、タレントの素養を培っていった。これは水星の発達に大いに役立っただろう。その後ミシガン大学に進学し、何事にも一切手を抜かない学生だったと言うが、彼女は1年半で中退した。
マドンナこのとき19才――4ハウスの土星にはトランジットの海王星が重なり、9ハウスの火星に対してはトランジットの天王星が180度、つまり火星・天王星・天王星のTスクエアという状態だった。暴走してブレイクスルーするにはこれ以上ない配置だった。こういうターニングポイントが、自分のホロスコープにいつ起こるのかは個人によって違うが、それを活かすも殺すもその人の選択だ。
いずれにしても彼女はブレイクスルーを選択した。
19才の女の子が、たった35ドル(4000円くらい?)を持って長距離バスでニューヨークに出た。
その時マドンナを語る上で欠かせないフレーズが生まれた。
ニューヨーク到着後、タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ行って!」と言い、タイムズスクエアで降りたマドンナは「私はこの世界で神よりも有名になる」と誓った。
【出典元】wikipedia/マドンナ (歌手)
こういうファンタジー脳の若者はいつの時代にもいるし、またそれを「なに寝言いってるんだ」と一笑に付すのも社会の常だ。実際、彼女はニューヨークに移った当初、ウェイトレスをしながらボロアパートで貧乏な暮らしをしたという。
デビュー~即売れ
しかしそうした自意識過剰が、稀に奇跡を起こす事がある。だからといってそんな万が一の可能性にすがっても、ほとんどの人間は社会に飲まれていくか、夢が諦めきれずに低迷する。ただ、マドンナが特別だったのは、彼女月・水星・冥王星がアセンダントに絡んでいるからだろうし、2ハウスの木星とノードが、それを確かなものにしている。
ニューヨークでダンサーとして活動していた頃に、持ちこんだ自分の楽曲がDJと音楽プロデューサーに認められ、SIREレコードと契約をした。この曲が1982年10月にリリースされたデビュー曲「Everybody」で、この曲はチャートインし、2ndシングル「Burning Up」もヒットした。
この頃、彼女の2ハウスの木星にはトランジットの冥王星が重なっていた――これは「地位と収入が上がる」ことを意味する。
マドンナのニューバージョン
彼女が最初の頃のイメージと違ってきたのは、3rdアルバム『トゥルー・ブルー』(True Blue)ころだったと記憶している。それまでのマドンナは「マドンナ・ウォナビーズ」あるいは「Madonnabe」と言われる、マドンナに憧れ彼女のようになりたい女の子たちが増殖するほどの時代的潮流を作り、象徴的なライフスタイルとファッションのアイコン的存在だった。
しかし3rdアルバムの時にシングルカットされた”Papa Don’t Preach” や”Open Your Heart”は大ヒットしたが、それまでのマドンナとは全然イメージが異なる曲だった。急にアーティスト然としてきたのと同時に、社会にメッセージ性をもたらす作品でもあった。
彼女のビジュアルも、ヘアをばっさりカットしてショートになった。またどちらかといえばセクシーで女性的なイメージだった体型も、アスリートみたいに体脂肪のない身体にシェイプアップされていった。ベジタリアンでワークアウトを欠かさないストイックな、現在まで続くマドンナのイメージは、この頃からだと思う。
この頃に、プログレスの月がアセンダントを通過し、生まれの月あたりに戻った。つまり新しい人生サイクルのスタートである。そしてその後、すぐに1ハウスでプログレスの新月になった。
異端からクイーンへ
彼女は常に「異端」で居続け、批判を浴びたことも少なくない。ティーンの妊娠の歌詞が社会的論議の的になった。ヌードになったことも批判を生んだ。ステージのパフォーマンスが世界中の宗教から非難されたこともある。
しかしいつしか彼女の存在は、ただの「異端」では済まなくなっていった。 “Queen of Pop”と呼ばれるようになった。
彼女の9ハウスの火星は独立心と信念の強さを示しており、同時に常に自分のレベルアップを目指している。天王星と90度なのは、人には従わない自らの意志の表れだ。
ちなみに天王星は獅子座の12度で、突出したものを生み出し、時に奇跡をもたらす度数でもある。
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