胃癌による死去の山本KID徳郁氏――あの頃の輝きは冥王星パワーだった

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亡くなった山本KID徳郁氏の病気は、胃癌だったらしい。今年8月26日にSNSで闘病をしていることを告白したが、それからわずか3週間後にこの世を去った。思えば彼は格闘技において“冥王星射手座時代”を代表する存在の一人だったように思う。しかし冥王星が山羊座に入ると、次第に輝きを失っていった。

類まれなるDNAを持ったデビュー

「あの」いわくつきの1972年ミュンヘン五輪のレスリング日本代表・山本郁榮氏を父に持ち、姉の美優氏、妹の聖子氏ともにレスリング世界選手権を制覇したサラブレッドだ。メジャーリーガーのダルビッシュ有氏は義弟にあたる。

幼い頃からレスリングに励みオリンピックを目指していたが、その夢は叶わず総合格闘家に転向、2001年25才の時に修斗(格闘技団体)でプロデビューした。

山本KID氏が全国区になったのは、2004年4月、初の「K-1 WORLD MAX(以下K-1)」参戦でKO勝利を決めた時だった。K-1はいわゆる「立ち系」と言われる、キックボクシングのように立って闘う格闘技で、これまで山本KID氏が目指してきた総合格闘技とはジャンルが異なる。

その違いは闘い方にも表れた。立ち系では相手のパンチやキックをガード(防御)することも重要なのに対し、彼の場合はあまり経験がないためか、ノーガードで一気にまくしたてるような攻め方が特徴で、それがハマった時の鮮やかさは、見たものの心に強く印象を残した。

当時の格闘技界の背景

立ち系のK-1に対し、総合格闘技は当時「PRIDE」が筆頭だった。K-1とPRIDEは異種ルールでありながら常にライバル的な存在でありドル箱コンテンツで、放映TV局も全面的にバックアップし、本格的格闘技全盛時代を嫌がおうにも盛り上げていた。毎年大晦日に紅白歌合戦の裏番組として放映され、双方とも視聴率が20%を超えていた時代である。

その過程でK-1は、創設者・石井和義氏(空手正道会館館長)の脱税容疑の逮捕により、運営がFEGという新会社に移ることになる。このFEGの代表を努めたのが、格闘技雑誌の編集者をしていた谷川貞治氏だった。この運営交代によってK-1は、初期のフィロソフィーを捨てたかのように急速に低俗化し始め、元横綱・曙太郎氏、元アメフト選手・ボブ・サップ氏、タレントのボビー・オロゴン氏など、いわゆる見世物的な「総合格闘技素人」を急造してリングに上げ、視聴率稼ぎ(つまり金稼ぎ)に走ることになった。(曙氏・サップ氏・オロゴン氏が低俗という意味ではない、運営方法がという意味-念の為)

このK-1の低俗化が、本格的な格闘技ファンにそっぽを向かせ、結果、PRIDEに集中したのは当然だった。こうしてPRIDEがさらに隆盛を極めたのに対し、K-1は格闘技に何の関係もない女性タレントをTVコメンテーターに起用するなど迷走し、「真のガチンコ」を求めるファンとの溝をますます広げることしかできなかった。

こうした流れに対し、K-1側は2005年に急遽「HERO’S」という総合格闘技系の新団体(大会)を作り、対抗策に出た。が、しょせんこれはPRIDEの二番煎じに過ぎず、本格的総合格闘技=PRIDEという方程式が、すでに出来上がった後だったし、いわゆる存在だけで客を呼べるキラーコンテンツ=エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップなどのスター選手はすべてPRIDEで活躍していた。

神の子伝説とその後の不振

一方で山本KID氏にとっては、これまで立ち系という慣れない異ジャンルのフィールド闘ってきたのが、HERO’Sによって元来の本流である総合格闘技に戻ることができた。

その中で2006年5月の宮田和幸選手との闘いでは、開始ゴングが鳴るや相手に突進し、左膝蹴り一発で宮田選手を失神KOさせた「たった4秒の秒殺ドラマ」は、実に衝撃的なものだった。

この秒殺が、山本KID氏の「神の子伝説」になったのは言うまでもない。

その後、プロとしての活動を休止し北京オリンピック出場を目指したが、ケガにより断念せざるを得なかった。その後アメリカの格闘団体UFCに移ってからも、その輝きを取り戻すことは叶わず、いつの間にか病魔に侵されていた。

KID氏のホロスコープ考察=もたらされた冥王星パワー

山本KID氏がプロ格闘家として輝いていたのは、主に2004~2006年頃である。その頃は冥王星が射手座にある時代だった。2008年に冥王星が山羊座に移ると、かつての輝きは徐々に薄れていった。それはケガや体調との闘いにもなった。
【出典元】→山本徳郁/wikipedia

山本KID徳郁氏:2006年宮田戦の頃

山本KID徳郁氏:2006年宮田戦の頃

2004~06年頃といえば、山本KID氏の太陽に対してトランジットの冥王星が90度になったタイミングである。一般的な占星術でいう太陽・冥王星90度といえば、かなりハードな影響をもたらすと考えがちだが、実はそれは使い方によるのだ。

例えばロックフェラー家の創始者ジョン・D・ロックフェラーや、ジャパネットたかたの高田明氏、宇多田ヒカル氏などは出生ホロスコープに太陽と冥王星の90度がある。つまり、冥王星は限度を超えたパワーをもたらすという意味であり、使い方によっては極端な結果を生み出す、という解釈をするべきなのである。

その解釈で言えば、2004~06年頃の山本KID氏には、度を超えたエネルギーがもたらされたのだろう。上述の宮田戦などのように、これまでの常識を破るような結果になった。

しかし一方で、太陽・冥王星90度は「暴走」をも意味することがある。ダウンを奪ったにもかかわらず攻撃し続けたり、魔娑斗戦での疑惑の金的蹴り、リングドクターへの暴言でライセンス停止処分など、しばしやり過ぎをもたらした。どちらにしても格闘技の常識を破るものであり、プラスにせよマイナスにせよ冥王星は両極端なのである。

ただ結果から見れば、KID氏はその頃の冥王星パワーだけでピークが終焉したかもしれないのは残念だった。もちろんこれは彼を否定する意味ではない。むしろ宮田戦で見せたような衝撃的な強さを「もっと見たかった」という思いは、誰しも持っているのではないか。

心に刻まれる衝撃

人は誰しも強烈な印象を与えられると、生涯忘れないものだ。それは体験と印象が脳に深く刻まれるからである。戦争や大地震を忘れる者などいないだろう。戦争体験者は何才になってもあの頃のことを鮮明に話す。それはあまりに強烈な体験だったからだ。

イジメもそうだ。いじめられた方は衝撃を受けているので忘れない。パワハラも同じだ。「なんで今ごろ」とパワーリフティング協会の三宅義行会長は言ったそうだが、受けた方は衝撃だったから忘れていないだけである。というか忘れるわけはない。

まあそれとは基準が違うかもしれないが、阪神タイガースファンはバックスクリーン3連発を忘れない。読売ジャイアンツファンは10.8メークドラマを忘れない。そして広島カープファンは江夏の21球を忘れない。これらを知らない世代が、いま映像で見たところでおそらく印象は薄い。その瞬間に受けるライブの衝撃がないからだ。

そして山本KID氏の4秒殺は、格闘技ファンにとって忘れられないものとして心に刻まれる。
R.I.P


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2023年4月1日
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