32才で引退
マリア・シャラポワが引退を表明。
「テニスよ、さようなら」 シャラポワ、引退を表明https://t.co/i0OzOp1oGj
— AFPBB News (@afpbbcom) February 26, 2020
シャラポワは雑誌「ヴォーグ(Vogue)」および「ヴァニティ・フェア(Vanity Fair)」に掲載された記事で、「テニスに──私はさようならを言います」と表明。
「28年間、そして5度のグランドスラムを経ましたが、私はもう一つの山に上る──つまり、異なる分野で競っていく用意があります」と語った。
キャリア
シャラポワは1987年、ベラルーシ人の両親の間に生まれた。ロシアで生まれたため、ロシア人になっている。現在は米国のグリーンカードを持っており、フロリダに在住しているもよう。
- 4才の時にテニスを始め、1993年(6才)にモスクワで行われたテニスクリニックに参加した際、グランドスラム女子シングルス18勝のマルチナ・ナブラチロワに見いだされ、フロリダのIMGアカデミーを薦められた。
- 7才の時、父とともに米国に渡ったが、母はビザの関係で2年間遅れた。アカデミーの入学金とレッスン料を稼ぐため、父はさまざま仕事を渡り歩いたという。
- 9才の時にIMGアカデミーに入学。
- 2001年(14才)WTA(女子テニス協会)プロデビュー。2002年草津国際女子オープンテニス大会でプロ初優勝。
- 2004年ウィンブルドン決勝でセリーナ・ウィリアムズをストレートで下して4大大会初優勝。
- 2005年、世界ランキング1位に。
- 2006年全米オープン、2008年全豪オープン、2012年全仏オープンを制してグランドスラムを達成。
しかし2016年にドーピング違反が発覚し、2年間の選手資格停止処分を受ける。この年リオデジャネイロ五輪ロシア代表に決まっていたが、この違反によって出場できなくなった。この処分に対してシャラポワ側は、さすがに2年間は重すぎるとしてスポーツ仲裁裁判所に提訴、15ヶ月に短縮された。
2017年にツアー復帰するものの、ケガなどもあってランキングは2017年59位、2018年29位、2019年136位だった。
ドーピング問題
2016年のドーピング違反は少なからず物議を醸した。
シャラポワが違反したのはメルドニウムという薬で、それまで禁止薬物には指定されていなかったが、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)がこの年から指定したという。つまりその前の年までの使用は認められていた。
メルドニウムは、旧ソ連のラトビアで開発された心臓疾患に用いられる薬で、ロシアなどで販売されており、簡単に手に入るごく一般的なものとのこと。
またメルドニウムは、1979年から始まったソ連のアフガン侵攻の際に、ソ連兵が使用していたという。
1979~89年のソ連によるアフガン侵攻中、メルドニウムを服用したソ連兵は、血液による酸素運搬能力や持久力が向上し、高高度の山岳地帯や台地地形の砂漠で重いバックパックを運ぶことができた。実際、カルヴィンス委員長は、メルドニウムの開発で(欧州特許庁による)2015年欧州発明家賞の最終選考に残った。
シャラポワは健康上の理由から、メルドニウムを10年以上使用していたと明かしている。また2016年1月1日からメルドニウムが禁止薬物になることを知らなかったとしている。しかし陪審員は、知らなかったはずはないとの判断を下した。
メルドニウムに関してはシャラポワの他にも、多くのアスリートから相次いで陽性反応が出ており、物議になっている。
いずれにせよこの違反によってシャラポワは、大きなスポンサー3社(スイスの時計メーカーのタグホイヤー、ポルシェ、ナイキ)から契約を解消された。
マリア・シャラポワ
ドーピング問題が起きた2016年というのは、このブログでもこれまでさんざん書いてきたように世の中にいろいろ混乱が起きていた年で、巻き込まれた人は多い。10年以上肩のケガに悩まされていたというので、山羊座に冥王星が入ってからアップダウンがあったんだろう。
「妖精」と呼ばれたそのビジュアルからモデルもこなし、スポーツビューティーのアイコンのような人だったが、その反面、試合におけるパワフルさと球を打つ時に発する雄叫びがギャップだった、と思ったらこの図の水星が(笑)。
女子テニスは近年それでも選手寿命が伸びたというが、その過酷さから32才の引退は妥当だろう。
今後は別の分野で競うというので頑張ってもらいたい。
※当ブログでは主流メディアでなかなか報じられず、検索されない情報を取り上げています。ぜひブックマークなどをご利用ください。またあなたの大切な人や、教えたい人にお知らせ・共有してください。
詳しくは→こちら