ギレーヌ・マックスウェルのこれまでの人生
2022年になりました。
1月はちょっと何かありそうです。
すでにコロラド州で火事が発生し、折からの強風に煽られて甚大な被害を出しています。倒れた送電線が草に引火し、あっという間に広がりました。ジャレッド・ポリス州知事は「明らかに壊滅的」として非常事態宣言を出しました。
さてギレーヌ・マックスウェル氏が有罪評決を受けたことにより、さまざまな情報が出てきています。日本ではあまり騒がれていませんが、世界ではかなり話題になっています。
そんな中BBCがギレーヌ・マックスウェル氏のこれまでの人生をまとめています。
Who is Ghislaine Maxwell? The downfall of a favourite daughter https://t.co/zkyqQmxmk5
— BBC News (UK) (@BBCNews) December 29, 2021
ギレーヌ・マックスウェル氏は1961年のクリスマスに生まれています。
その3日後に15才の兄マイケル・マックスウェル氏を乗せた運転手が居眠り運転で貨物自動車に衝突、マイケル氏は意識を取り戻すことなく、7年後に死亡しました。
(ちなみに兄イアン氏によると、ギレーヌでもギスレーヌでもギスレインでもなく「ギーレン(ジーレン?)」と発音するとのことですが、このままギレーヌで書かせていただきます)
父親の溺愛
母親のベティ氏は末娘のマックスウェル氏に愛情を注いだといいます。父親のロバート・マックスウェル氏は小さい頃に虐待をしたといいますが、やがて可愛がるようになります。9人いる子供の中で唯一、甘やかした子供でした。
ロバート・マックスウェル氏はチェコスロバキアのユダヤ人居住区で極貧生活を送り、家族のほとんどはホロコーストにより殺されています。そこからイギリス軍の英雄になり、成り上がってデイリー・ミラー紙のオーナーになりました。
ロバート氏は子供に対して厳しく、言葉でも暴力でも虐待する人だったと言われています。男の子であろうが女の子であろうが、ベルトで叩かれたと息子のイアン氏は述べています。
それはギレーヌ氏に対しても同じでしたが、彼女は他の兄弟とは違い、常に父親を喜ばせようとしたようです。それがロバート氏に末娘への大きな愛情と期待を抱かせることになります。
社交界デビューと、マックスウェル家の没落
オックスフォード大学で近代史と語学を学んだギレーヌ氏は、父親がオーナーを務めるサッカークラブ「オックスフォード・ユナイテッド」の取締役に抜擢され、また企業向けギフトの会社を設立させました。ギレーヌ氏はこの頃から社交界で目立ち始めたようです。
1991年1月に父親がニューヨーク・デイリー・ニュース社を買収し、父の代理人としてギレーヌ氏がニューヨークの本社に派遣されました。ニューヨークの社交界デビューです。
しかしこの年の11月に、父親は所有する豪華ヨット「レディ・ギレーヌ号」から転落し、大西洋上で死亡しました。事故とも自殺とも他殺とも言われましたが、他殺や自殺の可能性は否定されています。
その後、父親がオーナーを務めるメディアグループ企業から、年金基金の不正利用のスキャンダルが発覚します。
グループの3万2千人の従業員が被害を被り、マックスウェル一族はイギリス政府とともに穴埋めをすることになります。その過程で、兄のイアン氏とケビン氏は詐欺容疑で逮捕されています(後に無罪)。
ギレーヌ氏は父親を擁護し続けましたが、マックスウェル家に対する批判の多いイギリスに居づらくなり、ニューヨークに移ります。
エプスタインからの支援
アメリカの社交界では、アンドルー王子と友人関係であることが、ギレーヌ氏を引き立たせたといいます。
マンハッタンのアッパーイーストサイドにある5階建ての豪邸に住んでいたというギレーヌ氏は、その頃すでにエプスタインから資金を提供されていたことが判明するのは、後に検察が明らかにするまで知られていませんでした。
彼女の信託預金からの収入と、父の死後就いた不動産業の収入では、とうてい豪華な家に住むことなどできなかったのです。
裁判では、マックスウェル氏は父親が死亡した11月より以前の5月の時点で、エプスタインのプライベートジェットに搭乗していた記録が明らかになっています。これまでギレーヌ氏は父の死後エプスタインと知り合ったとされていましたが、それより以前から付き合いがあったことが判明しました。
2000年代からは、ゲートウェイ・コンピューターの創始者テッド・ウェイト氏と交際し始めました。しかしエプスタインとのつながりは切れていないようでした。
父親、エプスタイン、テッド・ウェイト氏・・・ギレーヌ・マックスウェル氏はそのホロスコープが示すように、常に男性とのつながりによって人生を渡り歩いていくのです。そして男性から援護があるのもまた、彼女のホロスコープの特徴なのです。それはホロスコープのエネルギーです。
エプスタインを取材した記者
かつてエプスタインの性的虐待について取材したヴィッキー・ウォード氏は、マックスウェル氏から激怒され、調査を中止するよう圧力をかけられた当時の記録を公表しました。
Journalist releases full transcript of Ghislaine Maxwell trying to pressure her to drop investigation https://t.co/jBYGOD6wa1
— Daily Mail Online (@MailOnline) December 31, 2021
ウォード氏は2002年に、ヴァニティ・フェア誌にジェフリー・エプスタインという大富豪の記事を書くことになり、調べているうちにギレーヌ・マックスウェル氏と10年以上ややこしい関係にあることがわかったといいます。
もともとウォード氏はマックスウェル氏と知り合いだったようです。
エプスタインへの歪んだ愛情
取材の最中、マックスウェル氏にばったり会い、エプスタインの記事を書いている事を伝えると、マックスウェル氏は泣き出したのだそう。
マックスウェル氏はエプスタインを愛しているが、エプスタインはそうではないといい、彼女はエプスタインと結婚して子供を持ちたかったが、エプスタインの方は独身を貫いて他の女性達とも遊びたかったと言っています。
一説によるとマックスウェル氏はエプスタインから贅沢な暮らしを提供されていたことから、その状況に我慢していたと言われています。
ウォード氏いわく、マックスウェル氏はセックスに対して開けっぴろげで、あるときニューヨークのパーティーで映画スターのヒュー・グラントを押し倒してマッサージをしているのを見たことがあると言っています。
しかしそうした振る舞いは、あるときからエプスタインに愛を受け入れられない裏返しではないかと思うようになったといいます。
記事に対して激怒のクレーム
ウォード氏が取材を進めていく中で、エプスタインの被害者アニー・ファーマー氏と姉のマリア氏の話を聞くと、すぐにマックスウェル氏から抗議の電話がかかってきて激怒されたといいます。
「それは絶対に事実ではない」「私を不快にさせるものだ」「私はそのようなことの当事者ではない」「この2人はジェフリーから多大な恩恵を受けている少女たちで、決して変なことは起きていない」「あなたが言っていることは好ましくない。気分が悪い」
その後エプスタインがヴァニティ・フェアの編集者グレイドン・カーター氏に圧力をかけ、性的虐待の記事がボツになったとウォード氏は主張しています。
2000年代に入ってエプスタインの一度目の起訴があり、マックスウェル氏はその関係から離れようとしていたと言われています。
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