ダイナマイト・キッド一周忌
本日12月5日はプロレスラー、ダイナマイト・キッドの一周忌になる。誕生日も12月5日で、60才になったその日に亡くなった。
ダイナマイト・キッドさん一周忌 初代タイガーマスクとプロレスを変えた男を振り返る(ENCOUNT) https://t.co/Impjxays8X
— プロレス スクエア -プロレス最新ニュース速報- (@pwsquare2019) December 5, 2019
初代タイガーマスクとのライバル同士の戦いは、未だに色褪せていない。プロレス=ヘビー級だったその昔から、藤波辰爾(辰巳)選手がジュニアヘビー級の門戸を開き、そして初代タイガーマスク、ダイナマイト・キッドへと受け継がれた系譜はプロレス史の中に燦然と輝き、その後多くの後進たちを排出することになった。
輝かしいキャリア
ダイナマイト・キッド(本名トーマス・ビリントン)は、1958年イギリスのマンチェスターで生まれ、17歳でイギリスのプロレスシーンにデビュー。その後カナダのカルガリーに移り、頭角を現す。
1979年に国際プロレスに参戦し、阿修羅原選手とのタイトルマッチなどを行い、その流れで新日本プロレスのリングに上った。
軽量を活かした小気味のいいスピーディーなファイティングスタイルで人気を博し、またコーナートップに上り、倒れた相手の頭に向かってジャンプしながら自らの頭をぶつける捨て身のダイビングヘッドバットは、クレイジーそのものだった。
初代タイガーマスクが引退した後、ダイナマイト・キッドは従兄弟のデイビーボーイ・スミスとのコンビ「ブリティッシュ・ブルドッグス」でWWF(現WWE)のリングに上がり、WWF世界タッグ王座を獲得、キャリアのピークを迎えることに。
薬物
それと並行して、ダイナマイト・キッドの肉体はステロイド(筋肉増強剤)によって肥大化していった。WWFで身体の大きなレスラーたちと戦わなければならなかったからだ、とインタビューに答えている。それはパートナーのデイビーボーイ・スミスも同じだった。
そして身体が大きくなるにつれて試合で受けるダメージも大きくなり、多くの鎮痛剤も必要だったという。
末期には馬用のステロイドにも手を出したとの話もあって、過剰な薬物投与による影響で副作用があったと言われる。ちなみにデイビーボーイ・スミスは2002年に心臓発作で亡くなっているが、薬物の影響が疑われている。
1991年に引退したが1993年に復帰、1996年には日本のみちのくプロレスに参戦したが、かつて誇った肉体美はなくなり、やせ細った身体だった。
2016年に日本のTV番組に取り上げられたが、脳卒中を発症して介護施設に入所しており、現役時代の姿は見る影もなかった。40代にはすでに車いすでの生活を余儀なくされていたようだ。
ダイナマイト・キッドのホロスコープ
火星が肉体の改革を求めている。
なぜか蠍座5度の海王星と乙女座4度の冥王星が気になった。
安らかに。
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