12月25日はルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクが処刑された日

12月25日はルーマニアの独裁者、ニコラエ・チャウシェスクとその妻エレナが公開処刑された日だ。ルーマニアに独裁政権を樹立し25年間君臨したチャウシェスクは、1989年12月25日、カメラが回る中で多数の銃弾を受けて妻とともに処刑された。

第二次世界大戦後に頭角を

ニコラエ・チャウシェスクは1918年生まれ。以前書いたネルソン・マンデラ氏と同じ年に生まれている。この年の天体の特徴は獅子座に土星と海王星があったことだ。片や独裁者、片や南アフリカ国民を救った英雄、全く違う人生になったのは、この配置が少なからず影響している。

1932年、14才頃にルーマニア共産党に入党するも翌年逮捕、その後も危険な共産主義者として投獄されたりした。獄中でエレナと出会っている。

1945年、第二次世界大戦でルーマニア王国が敗戦し、当時のソビエト連邦から占領され、それまでの君主制が廃止になり「ルーマニア人民共和国」が成立した。その後ルーマニア共産党が力を握ると、チャウシェスクはめきめき頭角を現していく。

国名を「ルーマニア社会主義共和国」と改め、1967年に国家評議会議長(国家元首)になって自らの権力を強めると、ソ連とは距離を置き、積極的に西側諸国と外交して、独自の政策路線をアピールしていった。

チャウシェスクの落とし子→秘密警察に

一方で国民人口を増やそうと、人工中絶禁止や離婚禁止政策をしたものの、結果育てられず親から捨てられた「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれるストリートチルドレンが溢れ、エイズなども蔓延することになる。

しかしこうした孤児たちの中で、優秀な者は特殊訓練や洗脳を施され、秘密警察「セクリタテア」に登用された。セクリタテアは諜報員として一般市民に紛れ込み、国家や政権に批判的な者を監視した。また国中に盗聴器が仕掛けられ、国民を恐怖に陥れたという。

民主化の流れからルーマニア革命に

しかし1980年代になるとチャウシェスクは次第に勢いを失い、1985年ゴルバチョフのペレストロイカによる民主化の中で取り残されていく。国民が貧困にあえぐ中、巨大な宮殿を造ったり、政権の要職には親族をつけたりと、その独裁色が反感を買っていた。

1989年、東欧革命によってポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ベルリンの壁崩壊など、相次いで共産主義国が倒され民主化の流れの中で、12月にルーマニア革命が起こった。

12月に入ると民衆のデモが起こり、セクリタテアが民衆に発砲し多くの死傷者が出た。これを鎮めようと12月21日に共産党本部前で集会を行い、チャウシェスク自ら民衆の前で演説を行った。しかし抗議が起こりパニックに。

危機を感じたチャウシェスク夫妻はヘリを飛ばして逃げようとしたが、ヘリのパイロットにも裏切られて捕らえられた。これで一巻の終わり。

チャウシェスクはもちろん失脚、妻エレナと共に拘束され、特別軍事法廷が開かれ死刑が決定、その場で公開処刑された。

ニコラエ・チャウシェスクのホロスコープ


ニコラエ・チャウシェスクは1918年2月5日生まれで、astro.comによると出生時間は昼12時だというが、ソースの信憑性は怪しいようだ。

ネルソン・マンデラ氏は蟹座の木星・冥王星で、いかにも民衆のヒーローという感じだったが、この人の図は共産的な匂いがする。

太陽は水瓶座だけど、そばに天王星もあって個人の都合など無視だろうし、特にこの太陽は独善的にやるっていう暗示がある。秘密警察を使って諜報したり盗聴器を仕掛けるみたいなのも、その流れだろう。

チャウシェスクは国民を犠牲にしたが、結局その反動は本人にブーメランしてしまった。

夫妻の罪

ちなみに妻エレナはというと、夫に巻き込まれたという事だけではない。この人なりに権力を振りかざして反感を買っていた。

毛沢東の妻・江青に影響されたというが、自分も政治に口出しするようになり、夫の権力を利用し、第一副首相にまで上りつめた。本人は科学者への憧れがあったらしく、権力によって実力もないのに博士号を手にし、他の科学者に論文を書かせ自分のものとして発表した。

だが実際は「Co2」もまともに読めなかったという話もある。

チャウシェスク夫妻の裁判と処刑の映像はドキュメンタリーで撮影され、TVで放映された。この時の動画は日本語訳付きもネットで見ることができるが、グロいので注意。

しかし民主化後、ルーマニアが繁栄したかというとそうでもないようだ。経済は停滞し失業率も高く、チャウシェスク時代のがまだよかった、という声もあるという。

ついでに息子

そういえば夫妻には息子ニク・チャウシェスクというのがいるけど、「この親にしてこの子あり」という感じかもしれない。ボンボンさながらフェラーリを乗り回し、ギャンブルで大金を使っていたという。

あのビートたけし氏の「コマネチ!」で有名な、1976年モントリオール五輪に出場したルーマニア代表のナディア・コマネチは、女子体操でオリンピック史上初めての10点満点を出し「ルーマニアの白い妖精」と呼ばれていたのは周知の通り。

で、ニクはこのコマネチと愛人関係になりたいために、強引に引きずり回したという。これを拒めなかったコマネチは心身共に傷つき、そのためアメリカに亡命したと言われてる。

ニクは大酒飲みだったらしく、肝硬変になり、その後亡くなっている。