美容家・佐伯チズ氏がALSにより死去、数々の試練を乗り越えてきた人生

ALSにより76才で死去

美容家の佐伯チズ氏がALS(筋萎縮性側索硬化症)のため2020年6月5日に死去した。76才だった。

今年3月にALSとの診断を受けてから「本人の強い意志のもと、美容家として全うすること、佐伯チズらしくあることを第一義に病と向き合ってまいりました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」とし、遺族の意向により、葬儀は親族のみで執り行われたという。

【出典元】美容家・佐伯チズさん、死去 筋萎縮性側索硬化症で/modelpress

生い立ち

佐伯チズ氏はこの世代にしばし見られる、なかなかアップダウンの激しい人生を歩んでこられたようだ。

第2次世界大戦中の1943年に満州で生まれ、終戦前に日本に帰国している。まだ小さい頃に父親が愛人と駆け落ちしてしまったという。さらに9才の時には、母親も男性と駆け落ちしてしまい、祖父母に預けられて育っている。

15才のときにオードリー・ヘップバーンに憧れ、いつしか美容の道を目指すようになったという。

高校を卒業したのち美容専門学校に通い、1967年にフランスの化粧品メーカー、ゲランに入社。

結婚~夫の死

1967年24才の時にプラネタリウム製造技師だった男性と結婚した。まだ専業主婦が当たり前で女性が社会に出ることが歓迎されていなかった時代に、夫は働いて社会に貢献することを後押ししてくれたという。

しかし結婚3年後に流産。

また33才の時にはドアに指をはさみ、左手の中指を切断する不運に遭っている。接合手術はしたものの、麻痺の後遺症が残ってしまったようだ。射手座海王星時代のことだが、実はこれキーになる。佐伯氏によれば、後にこの世代の女性と、問題が起こったという。

佐伯氏が40才の頃、夫が末期の肺がんと診断される。そのときすでに膵臓に転移が見られたほど進行していたようだ。佐伯氏はそれまで勤めていた会社を辞めて看病に専念したが、その1年半後の1984年に夫は亡くなってしまう。

佐伯氏は悲しみのあまり、1年あまり家に引きこもって泣き暮らしたという。夫の食器を使い、夫の着たものを着て、家中に写真を貼っていたと語っている。

そして体の一部にしたいと、夫の遺骨を食べていたという。

再起

夫の死から1年ほど後、心身ともに荒れ果てて髪の毛も真っ白、肌もボロボロになっていた。そのとき友人から「おばあさんみたいな顔をしている」と言われ、これではいけないと復活を目指した。

夫との約束「60才の定年まで働く」を果たすため、クリスチャン・ディオールで働き始めたという。帝国ホテルで1日2組しか予約を取らず1人2万5千円で施術をしていたが、何ヶ月も予約待ちだったようだ。

2003年にクリスチャン・ディオールを定年した後、著書『頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!』を出版し大ヒット、メディアなど各方面から引っ張りだこになった。また自身の美容サロンを開業、さらに後進の育成のためスクールなども開校した。

2008年には銀座にサロンをオープンしている。

後継者として育てた女性に裏切られ

自身のサロンを開業した後、多忙のため一人で管理をすることが難しくなり、マネージャーを雇うことになったという。それが佐伯氏のいうのちにトラブルになった女性だ。

当初、佐伯チズ氏はこの女性のことを信頼し娘のように可愛がったと語っている。また仕事も出来たこともあり、いつしか後継者として認めるようになり、すべてのことを任せるようになっていったとも。

2011年に東日本大震災の影響で景気が悪化し、銀座のサロンが赤字になっていたという。そのため女性は佐伯氏に個人資産を出すよう求めたため、2億円ほど渡したのだという。

しかし信頼していたスタッフが次々と辞めていったり、佐伯氏に依頼された仕事も、その女性が勝手に断るようになっていたのだという。佐伯氏はそれに気づかなかったと語っている。

さらにその女性から1億円を出資してほしいと言われ、もし銀行への返済ができなくなったらどうするの?と尋ねると、「自己破産すればいい」と言われたという。

けっきょく、佐伯氏が全てを知ることになったのは、女性が辞めた後だったようだ。

ALS

佐伯氏は2019年に右足に違和感を感じ始め、年の終わりには思うように動かせなくなっていた。翌2020年3月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたことを公表している。

佐伯チズより、皆さまへ 令和2年3月23日


ALSは現在でも有効な治療法はないと言われる。別名「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれ、かつてニューヨーク・ヤンキースで活躍したレジェンド、ルー・ゲーリッグ氏が罹ったことで、この病気が世に知られるようになった。

ゲーリッグ氏は当時世界記録だった2130試合連続出場を果たし、その頑丈さは「アイアン・ホース(鉄の馬)」と言われていた。

ゲーリッグ氏はしばし大谷翔平選手の投打二刀流の引き合いに出されるベーブ・ルース氏とともに、1920~30年代のヤンキース全盛時代を背負って立ち、三冠王を始めとする数々の打撃タイトルを獲得した球史に残る伝説的選手。生涯成績=打率.340・打点1995・HR493本・出塁率.447・OPS1.080はまぎれもない一流選手のものだ。

ゲーリッグ氏は30才を過ぎた頃から、足に力が入らなくなってきたことを妻に伝えていた。妻は脳腫瘍を疑っていたらしい。さらに35才頃から成績が落ち始め、次第に身体に異変が起こり始めたようだ。ある時などはケチャップの瓶が持ち上げられなくなったという。

36才で引退、「Yet today I consider myself the luckiest man on the face of the Earth.(今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っている)」と語った引退スピーチは、野球史に残る名スピーチとなっている。

翌年37才で死去、最後は歩くこともできなくなり、全盛期に93kgあった体重は41kgまで落ちていたという。

佐伯チズ氏

佐伯チズ氏

幼少期のことなど、このホロスコープに暗示あるね。

そもそも女性には気をつけたかったホロスコープだが、もし佐伯氏の言っていたことが事実なら、よりによってという相性の人を信じてしまったということか――逆に言うと、だから信じてしまうのだが。つまり吸い寄せの法則。

相性の怖さとはそういう事でしょう。(特定の個人の話ではなく、あくまでホロスコープ相性の起こす化学反応のことを言ってる)

佐伯氏のホロスコープはまさに美容で人を惹きつける魔力のようなものがあった。それが射手座冥王星時代に完全にスイッチが入った。

佐伯チズ氏のご冥福をお祈りします。