日本航空123便墜落事故から35年、今も残る不思議

日航123便墜落事故

日航123便の御巣鷹山墜落事故から35年目だという。

乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者たった4人。これを書いている現在、単独機の航空事故として世界最大の事故であることに変わりはない。

公式にはボーイング社の修理不十分が原因

この機体は、事故から7年前に伊丹空港で尻もち事故を起こしており、その時にボーイング社の修理が不十分だったとして、公式にはそれが墜落原因だとされている。

が、未だに謎は多いし、ネットをググればいろいろな情報が溢れている。

そしてもちろん事故以降も、日本の航空会社は変わりなくボーイング社製の機体を購入している。

いち早く現場に米軍が到着していた?

事故から10年後、当時横田基地に配属されていた元アメリカ空軍中尉マイケル・アントヌッチ氏が、この123便事故について書いた手記がカリフォルニア州の地方紙に載った。

アントヌッチ氏は自衛隊よりも早く墜落現場に到着しており、救助するため司令部からの連絡を待ったが、引き返すよう命令されたという。

そして基地に戻ると、マスコミには一切しゃべるなと箝口令が敷かれたとのこと。

事故30年後に相模湾で部品が発見

そして事故から30年後の2015年、相模湾の海底で123便の可能性のある部品の残骸が発見された。

これを回収して123便のものだと判明すれば、事故を調査する上で貴重な資料になるかもしれないが、その後どうなったのかわからない。

カメラで撮れているので回収が不可能ということはないと思うのだが・・・

【520名犠牲】日本航空123便墜落事故から34年、あらためてホロスコープはどうだったか(ボイスレコーダー音声)

2019年8月12日