アントニオ猪木――レスラー資質に恵まれる一方で山っ気が身を潰す、しかし稀代の演出家でもある

Ogiyoshisan, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

金曜の夜のヒーロー

その当時、金曜日の夜8時といえばNET(現テレ朝)の「ワールドプロレスリング」だった。なぜならプロ野球・巨人戦の中継がなかったからだ。

まだ世の中に週休二日制などというものが存在しなかった時代、プロ野球の試合は金曜日が休みで、巨人戦を主に中継していた日テレは刑事ドラマ「太陽にほえろ!」を放送していた。なので私はマカロニ、ジーパン時代をリアルタイムで見た記憶がない。見たのは再放送からだ。

アントニオ猪木は、そんな金曜日のヒーローだった。

試合中継の音声を収めたレコードなども発売された。猪木vs大木金太郎の「頭突き仁王立ち」の実況音声は、今でもなんとなく頭の片隅に残ってる。

ぷっつり切れた瞬間

心も体も成長していくにしたがって、ワールドプロレスリングは見なくなった。

そのきっかけはハッキリ覚えてる。第1回IWGP優勝決定戦アントニオ猪木vsハルク・ホーガン――あの「舌出し事件」だった。

見た瞬間、私の中の何かが「これは茶番だ」とささやいた。つないでいたものがぷっつり切れた。

たぶん、それまでもなんとなく感じるものがあったんだろうと思う。もちろんその頃、自分が大人びていく過程というのがあったかもしれないが、妙にカンのようなものが働くことはたまにあった。

いずれにしてもそれ以来、プロレスはきっぱりと見なくなってしまった。

それからだいぶ時が経ってから、ミスター高橋の暴露本『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』が出版された。WWFのカミングアウトもあった。

それまで頭の中でモヤモヤしていたものに、答えが出た思いがした。

いま見ても面白い

だからといって、決してプロレスを否定するわけではない。そういうものだと思って見れば、それはそれで楽しめるからだ。

さすがに2000年以降のプロレスはわからないが、K-1やPRIDEが出てくるまでのプロレスヒストリーは、いま見たり聞いたりしても面白い。そんな中で語られる伝説のマッチは、思わずYoutubeで探してしまったりもする。

「キレてないですよ。俺キレさしたら大したもんだ」「時は来た。それだけだ」などの名言も、後追いで知っただけ。でもそれでも面白い。

けっきょく、そこに面白いストーリーがあるから面白い。それを大人が自分の身体を犠牲にして、真面目にやっているのである。

山っ気の多い人生

アントニオ猪木を語る情報は世の中に溢れている。私ごときが下手に言及すると、すぐ猪木マニアがツッコんできそうなほどだ。

しかし、真の姿はミステリアスでもある。

なぜならその行動は神出鬼没で、突拍子がなく、時に大失敗もある。もしかしたらプロレスラーに専念していれば、この上なく尊敬されるカリスマになり得たかもしれないが、時々変なビジネスに手を出して信用を失ったりする。

ようするに山っ気が強い。

若手時代、師匠である力道山が設立した日本プロレスから離脱し、豊登らとともに東京プロレスを立ち上げた。しかしうまく行かず出戻った。

出戻った後も、またクーデターを画策していたのばれ、日本プロレスを追放された。その後に立ち上げたのが新日本プロレスだった。

今では誰でも知っている「タバスコ」の販売権を持っていたのは猪木氏の会社アントン・トレーディングだった。しかし手を出すのが早すぎた。まだタバスコが有名になる前に撤退してしまった。

「アントンリブ」「アントンマテ茶」「アントンナッツ」など様々なものに手を出したが鳴かず飛ばず。その中でも「アントン・ハイセル」というバイオ会社が抱えた負債は、新日本プロレスに大迷惑をかけてしまう。

これにより選手が大量離脱するクーデターが起き、一時的に猪木氏は新日本プロレスの社長を解任される。

一世一代の演出

猪木氏は新日本プロレスを立ち上げたが、かつてのパートナーだったジャイアント馬場の妨害に遭い、有名外国人レスラーが呼べなかった。日本人vs外国人の対戦は、敗戦日本のストレスを解消してくれるキラーコンテンツだが、それがままならないジレンマがあった。

そこで猪木氏は、まだ無名だったタイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなどを育てることに目を向けた。

中でも猪木夫妻が新宿伊勢丹でタイガー・ジェット・シンに襲撃された事件は、警察が出動する騒ぎになり、ニュースになって世間を騒然とさせた。その結果、シンの狂気性・凶暴性を世間に知らしめることになる。

これにより猪木vsシン戦はドル箱カードとなったが、ミスター高橋の暴露本によると、襲撃事件は猪木氏らが画策したものだという。

・・・伝説の事件でさえ茶番だった。

プロレス界ではこうしたターニングポイントとなる仕掛けや演出を「アングル」という。つまりドラマを作っていき、それを演じ、そしてファンが楽しむというものだ。

天性のレスラー資質

その意味でアントニオ猪木は自己演出家であり、プロレスラーとしての演出力は傑出していた。

天性生まれ持った資質の中に、その顔や表情や目がある。

怒りや憎しみの感情を、表情や眼力に投影することができる自己表現力は、いつしか「燃える闘魂」と称され、これ以上見ている者を鼓舞するものはない。

試合の前半は相手にコテンパンに攻められ、表情も生気をなくして息も絶え絶えになり、いよいよダメかと観客に思わせておいて、チャンスをつかんで一気に怒りを爆発させて逆転する。そんなファイトスタイルに、見ている者が扇動されないわけがないのである。

新日本プロレスに、アントニオ猪木に憧れて門を叩く若者が後を絶たなかったのは、そんな魅力からだろう。

アントニオ猪木のホロスコープ

猪木氏のホロスコープは、ある面でガッチガチだ。だから新日本プロレスは派手なアメリカンスタイルのプロレスでなく「ストロングスタイル」を目指した。その点でジャイアント馬場の全日本プロレスとは明らかに毛色が違う。

一方でごった煮の要素もあり、それが異種格闘技路線へと向かうことになった。空手家ウィリー・ウィリアムスやボクシングのモハメド・アリと戦ったのはそれである。色々なものに興味が引かれてしまうのだ。

ただそれは最終的に、総合格闘技へとつながっていく原石のようなものになったという点で、開拓者だったのでは。

しかし数々のビジネスの失敗に見られるように、すぐに飛びつく衝動性がある。なんでも乗ってしまうので無駄が出る。これが山っ気になっていると思う。

引退後はネタ扱いされる事も多かったように思うが、総じてプロレス界のレジェンドであることは間違いない。

一家でブラジルに移り、農場で貧しい少年時代を過ごしたが、たまたまブラジルに巡業に来ていた力道山に目をかけられた。それは太陽に冥王星がアスペクトした時だった。

享年79才。

世界中から追悼の声が上がるレジェンドであることに異論はないだろう。

R.I.P.


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