野村克也氏が突然の死去、虚血性心不全――実績を約束されたようなホロスコープ

突然の死去

野村克也氏が亡くなった。虚血性心不全だったという。84才。

選手として

野村氏は1954年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)にテスト生としてプロ入り、1980年に引退するまでの26年間で、現役通算2901安打、1988打点、HR657本、打率.277、OPS.865、首位打者1回、打点王7回、HR王9回、三冠王1回。

1969年(34才)のシーズンオフからプレイング・マネージャー(選手兼監督)として重責を負うも、1977年に沙知代氏(当時まだ愛人)の問題などで解任されることに。その後野村氏本人は沙知代氏の問題は否定している。

解任後はロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に選手として移籍、1年間在籍したのちに西武ライオンズに移籍し、2シーズン後に現役引退している。

監督として

引退後は解説者・野球評論家として活動していたが、1989年にヤクルトスワローズの監督に就任。野村ID野球を掲げてそれまで弱かったチームを改革し、3年後の1992年にリーグ優勝、翌93年日本一、その後も95年・97年に日本一に導き、「名将」の名を轟かせた。

ヤクルト退団後は、当時低迷していた阪神タイガースの監督として三顧の礼を持って迎えられるも、3年連続最下位という結果に終わった。2001年オフに監督続投が決まっていたが、沙知代夫人の脱税容疑逮捕によって辞任した。

その後、社会人野球シダックスの監督兼ゼネラルマネージャーに就任し、チームを再建して2003年に都市対抗野球で準優勝に導いている。

2005年、田尾監督を解任していた楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任、2009年まで4年間監督を努めた。

野村再生工場

野村氏は、低迷している選手や戦力外になった選手を再生させ、再び活躍できるようにする事で話題になり、これが「野村再生工場」と言われた。

この再生手腕で、江本孟紀氏・山内新一氏・江夏豊氏・小早川毅彦氏・山崎武司氏・吉井理人氏・遠山奨志氏・高津臣吾氏など、復活させた選手は枚挙にいとまがない。

特に先発に固執した江夏氏を、野村氏が説得してリリーフに転向させたのは有名な話で、それがなければ伝説の「江夏の21球」は生まれていなかったかもしれない。

野村克也氏のホロスコープ

野村克也氏

なんか実績が約束された選ばれし人みたいな図。
というのも、よくみると緩いけど土水のグランドセクスタイルに一つ足りない状態で、トランジットや相性で山羊座の10度近辺になにか来れば、GS完成という形。

特に沙知代夫人との相性をみると、もう一つ水のグランドトラインができてしまうので、お互い情で通じる部分は多かったのでは。

野村再生工場と言われた選手を復活させる能力の高さも、たぶん相手を突き放さなかったり、付き合ってしまうようなところがあるからかなと思う。

王や長嶋はヒマワリ、俺は月見草

ボヤキ口調だったり「王や長嶋はヒマワリ、俺は月見草」などの若干斜めをいく野村氏の切り口だけど、これ見ると十分人情味があって相手に気を使う人だった気がする。

それとこの図は何が大事なのか選択する評価眼あると思うし、人を指導するカリスマ性もあると思うので、若くしてプレイングマネージャーを任されたのもそういうところがあるからだろう。

野球人として大いなる実績は残したが、一方で結果的に人生としてはアップダウンはあったかも。確か本人も波乱の人生みたいなことを言っていたと思うが、時に裏切られたり巻き込まれたり落とされたりはありそうな図だが。

妻に先立たれた夫が早く逝ってしまうのはよくある話だが、もっと野球界に物申して欲しかったと思うのは欲しがり過ぎか。

R.I.P.


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2023年4月1日
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