元阪神のマット・キーオ氏が死去、タイガース低迷期を支えた背番号4のエース

元阪神で活躍

元阪神タイガースのマット・キーオ氏が64才で死去。死因は公表されていない。

キーオ氏が球団特別補佐を勤めていたオークランド・アスレチックス公式ツイッターが伝えた。

これまでのキャリア

マット・キーオ氏は1977年にオークランド・アスレチックスでメジャーリーグデビュー。もともと内野手だったが、バッティングがイマイチだったこともあり投手に転向しメジャーに昇格した。

1980~82年まで3年連続2ケタ勝利を上げたが、83年にトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。その後セントルイス・カージナルス→シカゴ・カブス→ヒューストン・アストロズを経て阪神タイガースに入団。

阪神には4年間在籍し、一時エースとして低迷期のタイガースにおいて孤軍奮闘した。

1987年:11勝14敗 防御率3.80
1988年:12勝12敗 防御率2.76
1989年:15勝9敗 防御率3.72
1990年:7勝9敗 防御率5.00
その後は阪神から自由契約となり、エンゼルスでメジャーリーグ復帰を目指したが、1992年オープン戦でベンチに座っている際、ファールボールがこめかみを直撃するという不運に遭い重症を負ったため、現役を引退。

引退後はアスレチックス、エンゼルスでピッチングコーチや球団フロントを務め、その後タンパベイ・デビルレイズでスカウト、さらにアスレチックスに戻って球団幹部を務めた。

私生活

キーオ氏は2005年4月に飲酒運転で事故を起こし逃走したため逮捕され、保護観察中に違反があったため、180日の勾留処分が下されている。

プレイボーイ誌のプレイメイトだったジーナ氏と1980年に結婚していたが、その後別居。別居後もジーナ氏とともに、地元オレンジ・カウンティのTV局の主婦のリアルな生活を追ったリアリティ番組『The Real Housewives of Orange County』にレギュラー出演した。

二人の間には子供が3人おり、長男シェーン・キーオ氏は野球選手としてオークランド・アスレチックスのマイナーチームと契約したが、その後リリースされたもよう。

私のお気に入りの場所はいつもあなたの肩の上でした。マッコイがそこにいてくれると私は笑顔をもらえます、あなたの肩の上。必ずしもパーフェクトではなかったけど、それを変えることはしない。あなたは私にこれまでにないほど多くのことを教えてくれ、誇りに思う。ゆっくりと休んで、永遠の光を楽しんでください。また会える日まで。お父さん愛してます。
-シェーン・キーオ

(※注マッコイはおそらくシェーン氏の息子)

マット・キーオ氏

マット・キーオ氏

ファウルボールのこめかみ直撃が気になるホロスコープ。
飲酒もその影響が指摘されていたようだが、後遺症などはなかったのだろうか。

まだ64才という年齢だったので残念。

R.I.P.

通行人A
「ちょっとマット・キーオ」が思い出されます。
通行人B
少年時代に日本にいたことがあり、ひょっこりひょうたん島を見ていたらしいですね。

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